或る世界

2020年3月

  1. 身体の隙間が動くたび、夕日が短く開閉する

    人混みのまばたき

  2. 見えない先端の深さを、柄の傾きだけが伝える

    匙の傾き

  3. 隠れた途中を挟み、模様の両端だけが光っている

    格子の向こうの帯

  4. 円が止まるまで、水面は小さく遅れている

    受け皿の中央

  5. 開く扉の手前で、前足だけが少し引かれる

    敷居の前足

  6. 近くにある目ほど、遠いことを残している

    近い目

  7. 通り終えたあとで、持ち手だけが手のひらに残る

    一番線の端

  8. 待っている画面ほど、こちらの目から先に遠ざかる

    閉じない窓

  9. 平らだった薄い皮が、切り口で何度も戻ってくる

    切った後の渦

  10. 余分を落とした一本が、指先でいちばん軽くなる

    小皿の縁

  11. 回す指の下で、もう片方の手が重さを受けている

    左手の重さ

  12. 開かれた紙は、触れる順番だけを静かに残している

    折り目のまま

  13. 箸を置く場所だけが、残る形を先に決めている

    細い筋のところ

  14. 同じ赤の上で、水滴はそれぞれ別の濃さを残している

    濡れた赤の濃さ

  15. 二つの影を抜けたところで、靴先だけが急に明るくなる

    影の間の道

  16. 遠くの黄色は一つに見えて、手前ではまだ蕾を残している

    黄色の奥行き

  17. 動かない矢印を、枝影だけが短く横切っていく

    矢印の上の枝

  18. 通り過ぎるための段に、座る人の幅だけが残っている

    段に残る幅

  19. 麺の色が変わるのは、器の底ではなく汁の縁からだった

    汁の縁まで

  20. 一貫のまま、表面だけが細かな向きを増やしている

    切れ目の光

  21. 分かれた二つに、同じ向きがまだ残っている

    パンのあいだの緑

  22. 一歩のあいだだけ、花は目線より低くなる

    耳の横の花

  23. 掬う部分は隠れ、次に握る端だけが立っている

    器の外の柄

  24. 反射だけが外れ、同じ文字の列が机に残る

    画面の外の白