或る世界

2020年2月

灯りを暗さで分ける

光を遮る細い影が、一つの明るさへ間隔を作る

暗い通路の灯りには、光を通さない細い桟が何本も並んでいた。明るくするための器具なのに、光源の前へわざわざ影を置いている。

部屋を照らすだけなら、覆いは透明な方がよさそうに思える。光を遮るものが少なければ、同じ一灯でも広い範囲へ届く。暗い材料は、灯りの働きを弱める障害になる。

ところが桟のあいだから光が漏れると、一つだった明るさは細い列へ分かれた。遮られた部分が暗い間隔を作り、その両側の光を別々の筋として見せる。もし全面が均一に光っていれば、どこまでが一つの明るさなのか、目は留まる場所を持たないだろう。

何かを見せるには、すべてを見せるより、一部を隠した方が輪郭を作れることがあるらしい。桟そのものは光らない。しかし光を途中で止めることで、通り抜けた場所の形を決めている。

奥の灯りにも同じ暗い筋が並んでいた。通路全体へ広がろうとする明るさは、器具を通るたび細く切り分けられる。影は灯りの外に追い出されず、その中へ規則正しく残っていた。

青を見失う

ひとつを追う目が、壁の広さへほどけていく

青い蔓の一本を、目だけで追ってみる。花の脇を曲がり、白い線と交わり、隣の葉へ入ったところで、どれを見ていたのかわからなくなった。

同じ形が続いているのではない。似た花のあいだを別の茎が抜け、少し違う青がその隙間を埋めている。ひとつを選んだはずの視線は、次の模様へたやすく渡されてしまう。

入口らしい暗がりへ目を移し、もう一度壁へ戻る。今度は初めの一本を探さなかった。どこかを始点にしようとするたび、模様の方が、その先にも周りにも続いている。

近くで見ていた目が少しずつ離れると、見失った線まで青い面の中へ戻った。追うのをやめたところで、壁はようやく一枚になった。

文字のとなりの日時計

意味を閉じた文字の影が、光の方角だけを開く

青い蔓を目で追ったとき、線は隣の線へ紛れ、壁全体へ戻っていった。今度の壁には、角張った白い文字が浮き上がっている。曲がる場所は明瞭なのに、その先にある意味へは入れない。

読めない文字は、こちらへ何も渡さないのだろうか。言葉として見れば、私は入口に立ったままである。音も内容もわからず、どこで一つの語が終わるのかさえ知らない。

ところが、文字の脇には短い影ができていた。白い線が壁からどれほど前へ出ているか、光がどちらから来たかは、読むことができる。文字そのものより、文字が遮った光の方が、私には素直だった。

それは時刻を示すための仕掛けではない。それでも太陽の位置が変われば、影は角の反対側へ回り、長さを変えるだろう。変わらない文の隣で、読めるものだけが静かに書き替わっていく。

目を離す前、意味のない影が一画ずつ赤い壁へ重なった。青い線を見失った目は、白い文字を読めないまま、その隣にある小さな日時計だけを見ていた。

風を一軒ずつ

店の境を越えるたび、同じ暑さに別の風が触れる

店先を一軒過ぎると、首筋へ風が来た。数歩だけ涼しくなり、柱を越えたところで止む。次の店へ近づくと、今度はシャツの袖が先に揺れた。

通路には壁がない。床の石も同じまま続いている。それでも身体には、風のある区画と、暑さが戻る細い隙間が交互に現れる。

扇風機は店の中から通路へ顔を出し、誰が通るかを選ばず回っている。ひとつの風を追いかける前に別の風が横から触れ、どの店の涼しさだったのかはすぐ曖昧になった。

歩みを止めると、頬の風だけが先へ行った。向かいの紙札が小さくめくれ、ひとつ先の店の前でまた戻った。

全部見えて、どこにもいない

すべての道を見渡す目は、どの分岐にも立っていない

高い窓の前に立つと、幹線道路からほどける何本もの道が一度に見えた。左へ回る長いランプも、その下を直進する車列も、離れた先でまた合流する場所も見渡せる。

地上であの分岐へ入れば、見えるのは前の車と、次の標識と、左右の車線くらいだろう。全体図を知っていても、曲線の途中では、いま走る一本が街のほとんどになる。

では、高所にいる私は、地上の運転者より道を知っているのだろうか。確かに、選ばなかった先まで見えている。しかし、こちらにはハンドルも速度もなく、どの分岐を選び損ねる心配もない。すべてを見られる代わりに、一つも進めない場所にいる。

地上の車は全体を見失うが、そのたび一つの道を現実にする。高所の目は可能性を残せるが、どれも自分の経路にはならない。知ることと選ぶことは、同じ高さでは両立しにくいらしい。

一台の赤い灯りを目で追うと、車は高架の下へ入り、そこで消えた。道の続きは見えているのに、その車がどちらを選んだのかだけが、急にわからなくなった。

空の入口

近づくほど、空の形が入口へ変わっていく

正面の建物は、近づくたびに横へ広がった。左右の塔は窓を増やし、中央にあいた青い部分だけが、同じ空の色を保っていた。

遠くにあるうちは、それも建物の形に見えた。壁が空を切り抜き、真ん中に青い模様を置いている。道路がまっすぐそこへ延びていても、まだ通れる場所には見えない。

車が一台、中央へ吸い込まれるように小さくなった。そのとき、青い部分の下に影があることに気づいた。空だと思って見ていた形が、向こう側へ抜ける入口へ変わった。

建物は動かず、穴の大きさも変わっていない。変わったのは、そこへ身体が届く距離だけだった。

さらに近づく。空は輪郭を失い、暗い天井の奥へ退く。さっきまで建物の中心にあった青は、くぐる直前、入口の向こう側としてだけ見えている。

額縁には表が二つ

振り向くだけで、同じ枠の中の時間が変わる

建物の中央に残った空を、通り抜ける入口だと思った。ドバイ・フレームの空白は、身体を向こうへ運ぶ代わりに、身体の向きを二つに分ける。

上からは、一方に古い市街、反対に新しい街並みを望むよう造られているという。普通の額縁には表があり、裏へ回れば絵は見えなくなる。ところが、この枠では振り向いた側も正面になる。同じ四辺の内側で、景色の年代まで入れ替わる。

古いものと新しいものは、街の中で一本の線を境に分かれているわけではない。それでも高い枠へ二つの向きを与えると、見る人の身体が境目になる。建物は動かず、向きを半周変えるだけで、街の別の時間へ正面を向けられる。

足もとから見上げた枠には、市街の新旧ではなく、暗くなりかけた空だけが収まっていた。どちらの正面にも属さない色が、二つある表のあいだでゆっくり夜へ変わっていった。

クラクションは上へ逃げる

壁を渡った音だけが、鳴った車より高くなる

短いクラクションが鳴り、反射的に車道の左右を見た。音を出した車はもう通り過ぎたらしい。代わりに、少し遅れた同じ音が頭上から返ってきた。

見上げると、塔の壁が空を細く囲んでいる。どの窓からも車は見えないのに、クラクションだけがガラスや壁を渡り、鳴った場所から切り離されていた。

目なら、曲がり角の向こうは見えない。音は角や高さを回り込み、遅れて別の方角から届く。そのため、聞こえた向きへ顔を向けるほど、最初の場所から遠ざかることがある。

もう一台が短く鳴らした。今度は先に車を見つけ、そのあとで壁を一つ、二つと音が上っていくのを待った。最後の小さな響きが消えるまで、青い空には何も現れなかった。

船だけを傾ける

揺れる座席の外に、傾かない一本がある

船が波の斜面へ乗るたび、手すりと前席の肩が一緒に傾いた。身体を船内だけで見れば、自分はまっすぐ座ったままで、海の方が持ち上がったように見える。

少し顔を上げると、遠くの水平線が見えた。その一本を基準にした途端、海は元の場所へ戻り、今度は座席も手すりも自分の身体も、まとめて斜めになった。

陸では、足元の床が水平を教えてくれる。だが船では、身体を支えるもの自体が傾く。いまどちらへ傾いているかを知るには、座っている場所の外を見なければならない。

揺れをなくすことはできない。それでも、動かない線を一つ選べば、世界全体が傾くのではなく、船だけが傾いていると思い直せる。

次の波で舳先が上がった。前席の背中も空へ持ち上がったが、水平線だけは肩の向こうを静かに横切り続けた。

中心から半歩

真下へ寄るほど、丸い中心は灯りへ隠れる

吊り灯の真下へ近づきながら、ドーム中央の青い円を見上げた。あと一歩というところで、真鍮色の灯具が視線の中を上り、円の下半分を覆った。

中央に立てば、放射状の葉はどの方向へも同じように広がるはずだった。ところが、その位置からでは、中央そのものが手前の灯りに隠れる。

右へ半歩ずれると、青い円が灯具の脇から現れた。代わりに、左右の葉の列は少し違う角度になり、片側だけが長く見える。天井の中心を見る場所と、中心に立つ場所は一致しないらしい。

もう一度真下へ戻ると、灯りは円の中央までせり上がった。半歩外れれば中心が見え、戻れば模様の釣り合いが戻る。二つの見え方のあいだを、足だけが小さく往復した。

継ぎ目を渡る花火

一枚ずつの黒が、同じ色の続きを受け取る

紫の花火が映像壁の途中で開いた。光の筋は一枚のパネルの端まで走り、細い黒い継ぎ目で一度切れ、隣のパネルから同じ角度で伸びていった。

暗い場所を見れば、壁は縦横の格子に分かれている。それでも花火が広がるあいだ、目は境を数えない。別々の四角が、それぞれ同じ瞬間の続きを受け取っていた。

一本の光が消えると、その場所はまた黒い一枚へ戻った。次の緑が来れば、さっき紫だった四角も今度は緑の途中になる。どのパネルにも、持ち続ける色や形はない。

花火の中心が白く弾け、何本もの筋が格子を斜めに渡った。像が消えたあとには継ぎ目だけが残り、次の一発を受け取るための黒い四角が、壁いっぱいに並んでいた。

白い継ぎ目

雲が通るたび、屋根の端だけ空へほどける

黒い格子へ分かれた映像壁では、花火が何枚ものパネルを渡っても、継ぎ目は最後まで残っていた。シェイク・ザーイド・グランド・モスクを見上げると、今度は白いドームの端が、背後の雲へ近づくところだけ薄くなっていた。

青空を背にした半球は、丸い輪郭をはっきり見せる。ところが白雲がその後ろを通ると、大理石の明るさと空の明るさが重なり、屋根の曲線が途中でほどける。建物と雲は触れていないのに、目には境が欠けて見えた。

映像壁では、別々の面が同じ色を受け取ることで一枚の像になった。それでも物理的な線は消えない。ここでは別々のものが何も受け渡さず、ただ同じ白さを持っただけで、間にあったはずの距離まで平らになる。

雲が右へ流れると、細くなっていた縁へ青が戻り、ドームは再び空から離れた。頂の金色の三日月だけは、白が重なったあいだも小さな針のように残り、屋根の終わりを示していた。

柱と荷物のあいだ

離れる荷物と流れる柱が、別々の速さを見せる

動く歩道へ乗ると、前の人はそのまま歩き続けた。私はいったん足を止めた。床が同じ速さで二人を運んでいるのに、白い服といくつもの荷物は少しずつ遠ざかっていった。

前の人だけが進み、立っている私は止まっているように見える。だが、脇の柱へ目を移せば、こちらも一つずつ後ろへ送っている。二人の間では消えた床の速さが、柱との間には現れる。

では、前の人の速さは一つなのだろうか。私から見れば、遠ざかる速さは歩幅の分だけである。柱から見れば、そこへ床の速さも加わる。同じ身体が、何との間を測るかによって二つの速さを持つ。

私も歩き始めると、荷物との間隔はそれ以上開かなくなった。前の人は止まったように見えたが、白い柱だけは先ほどより速く流れ始めた。

終端で前の人の靴が静かな床へ移り、わずかに歩調を変えた。続いて私の足も境を越えると、さっきまで二人の下にあった速さだけが、背後へ戻っていった。

海を連れて曲がる

曲がるたび、海と山が同じ側へついてくる

マトラの海岸通りを歩いていると、舗道は湾に沿ってゆっくり左へ曲がった。正面にあった青いドームが少しずつ横へ移ったのに、海は同じ側から離れなかった。

反対側には、白い建物のすぐ後ろから岩山が立ち上がっている。通りを渡って街の奥へ入ろうとすると、短い道の先を茶色い斜面が塞いだ。

曲がる前には、通りが左へ別れていくように見えた。曲がった先でも、海側の欄干と山側の建物の間隔はほとんど変わらない。舗道は新しい方角へ離れず、二つの縁のあいだをなぞっていた。

湾の上を黒い鳥が一羽、舗道を斜めに追い越す。こちらが白い欄干に沿って弧を歩くあいだ、鳥は水面の上に短い直線を引く。二つの線は同じ湾の上で、しばらく交わらない。

手と係留索

細い黒だけが、離れた輪郭を一つに保つ

低い光を正面から受け、遊歩道を行く人々は黒い輪郭になっていた。顔も服の色も見えない。その中で、背の低い一人と隣の大きな一人を結ぶ手だけが、二つの形の間に細く残っていた。

背の低い人が横へ一歩ずれると、二人の身体の間へ明るい水面が入った。別々の輪郭になっても、手のところだけは切れない。誰なのかは分からなくても、離れずに歩いていることは分かる。

少し沖には木造船が停まり、その船腹から浮標へ黒い線が延びていた。船と浮標の間には何もないように水が光っている。それでも係留索らしい一本が、船がどこから離れないのかを示していた。

手の線は二人と一緒に舗道を進み、索の線は同じあたりの水面で伸び縮みしていた。同じ細さでも、一方は歩くたび場所を移し、もう一方は船が遠くへ流れない範囲を水の上に残していた。

波で船がわずかに揺れると、細い索は一度水へ沈み、また光の上へ現れる。遊歩道では、つないだ二人の腕が歩調に合わせて前へ振れ、その手だけが二つの輪郭のあいだに残る。

まばたきの裏側

閉じた瞼の中で、白だけが少し遅れて消える

天井を見上げたまま、シャンデリアの中央へ目を置いた。小さな灯りを数えようとしたが、三つほど追ったところで隣の光とつながり、白い円に戻ってしまった。

眩しさに瞼を閉じると、暗くなるはずの内側へ、さっきの円だけが残った。装飾も個々の灯りもなく、輪郭のぼやけた白が一つ、目の動きについてくる。

目を開けて緑のガラスへ視線を移すと、白い丸も天井の端へついてきた。シャンデリアは頭上に残っているのに、その明るさだけが灯具から離れ、見る先へ先回りする。

首を下ろすと、残像は足もとの敷物まで滑った。二度まばたきをすると白い縁が欠け、三度目には消えた。見上げ直した青い天井には、灯りから離れて動く丸はもうなかった。

雲の連れはどれだ

同じ雲の影が、窓の中では別の速さで離れる

窓の下に小さな雲があり、その斜め後ろの地上に黒い斑点があった。雲が作った影だと思い、二つを一組として目で追った。

飛行機が進むと、白い雲はすぐ翼の下へ入り、黒い方はまだ乾いた地表の上に残った。雲の方が窓に近いぶん窓枠を速く横切り、ひと続きだったはずの二つは間隔を広げて見える。

影なら、雲についていくはずである。ところが窓から見える動きには、雲自身の移動だけでなく、こちらが雲を追い越す速さも混ざっている。地上まで遠い影には、その追い越しが小さく現れる。同じ組でも、高さが違えば同じ速さには見えない。

では、先ほどの黒い斑点は本当にあの雲の影だったのだろうか。地面には似た暗がりがいくつもあり、白い雲も次々に窓へ入ってくる。離れたあとから組を戻す印は、どちらにもなかった。

次の雲が翼端へ近づく。今度は影を先に決めず、白と黒が窓の別々の縁から消えるまで、二つの間の空いた地表を見続ける。

足もとの正面

見上げて失った向きを、足先で拾い直す

太い柱を一つ回り込んだ。顔を上げると、正面にも左右にも似たアーチが重なり、さっき入ってきた方角が分からなくなった。

どちらへ向いても、石柱の上には木の梁が渡り、その先にまた柱が立っている。吊り灯の間隔までよく似ていて、目を遠くへ送るほど、四方が同じ奥行きへ続いた。

足もとを見ると、赤い絨毯の細い列だけは一つの向きを保っていた。横切れば境が次々に足先を通り、列に沿って向き直ると、その横切る感触が止まった。

その列をたどると、途中の柱脚で赤い帯がいったん隠れた。身体を半歩ずらすと、同じ列が石の向こうから現れ、足先をもう一度まっすぐ先へ向けた。

覆うための顔

隠された輪郭の上で、金の瞼だけが開いている

黄金の顔を正面から見たあと、少し横へ移った。頬も鼻筋も、動いたのはこちらなのに同じ形のまま残り、黒く縁取られた目だけがこちらを追ったように見えた。

マスクは、もとの顔を覆うためのものだった。普段の仮面なら、目の位置には小さな穴があり、内側にいる人が外を見る。ところが、この目は石やガラスをはめ込んだ面で、奥へ通じる隙間がない。開いているように見えるのは、外側からだけだった。

誰が見るための目なのだろう。内側から展示室を見ることはなく、こちらが近づけば、こちらだけが黒い瞳を見る。顔を覆う金の面は視線を遮りながら、その同じ場所へ、閉じない目の形を置いている。

窓のような目と、蓋のような目があるらしい。一方は見る人のために向こう側を空け、もう一方は向こう側を閉じたまま、見る側へ眼差しの形だけを返す。黄金の顔では、隠すことと見せることが一枚の面から分かれなかった。

ケースの脇へ寄ると、金の頬に自分の影が薄く重なった。顔を近づけてもマスクの目は開いたままで、その奥にあるはずの暗がりだけは、ガラス越しにも見えなかった。

二つ目の覆い

包める大きさを越えると、空そのものが外側になる

黄金のマスクは、透明な展示ケースの内側にあった。顔を覆うために作られたものが、今度はガラスに覆われている。光と視線は通しても、こちらの息や指は届かない。

ギザでカフラー王のピラミッドを見上げると、頂近くに残った外装石は青空へむき出しになっていた。展示室の屋根も、その周囲を囲む透明な壁もない。風は斜面に当たり、砂は足もとを動いている。

物を守るには、それより少し大きな外側を置けばよい。箱へ入れ、屋根を架け、壁で囲う。しかし、ピラミッド全体をケースへ入れようとすれば、そのケースもまた景色になるほど大きくなり、さらに外側を必要とする。

守るものの大きさには、包む方法そのものを変えてしまう境があるらしい。マスクと私の間には一枚のガラスが置けた。ピラミッドと空の間には、視線を遮らずに全体を覆う面を思い浮かべることさえ難しい。

頂に残る滑らかな石へ目を細める。風が頬を横切り、足もとの砂を少し動かす。同じ風は見上げた先まで届いているはずだが、そこへ手を添える透明な壁は、どこにも現れない。

欄干から空へ

飛び立った数だけ、塔のまわりに空が増える

欄干に並んでいた鳥が一羽、羽を開いて塔から離れた。隣の二羽も続き、さっきまで白い背で埋まっていた飾りの間に、細い空が見えた。

飛び立った鳥はミナレットの丸い頂を回り、明るい空へ散った。黒い一羽を目で追うと、その後ろを白い鳥が横切り、どちらを追っていたのか分からなくなった。塔だけは同じ位置に残っている。

しばらくすると、一羽が脚を前へ出して欄干へ戻った。空いていた飾りの上へ白い腹が重なり、塔の縁がその分だけふくらんだ。すぐ横では、別の鳥が翼を持ち上げている。

その鳥が飛び立つ前に、先ほど戻った一羽が身体を横へずらした。二羽分の隙間は一羽分になり、塔の外では白と黒の羽がまだ交差していた。

扉の横の手

触れた形と、触れるたび消える形が並んでいる

壁の手形へ自分の掌を近づけた。指先の向きを合わせても触れはせず、数センチ手前で止める。黒い跡は私の手より小さく、親指と人差し指の開き方まで一度の形を残していた。

その横の扉には、丸い金属の取っ手が付いている。こちらも多くの掌に触れられたはずなのに、誰か一人の指は見つからない。握られるたびに汚れや光沢が重なり、個別の接触は丸い面へ混ざっていた。

触れた記録は、回数が増えるほど詳しくなるとは限らないらしい。壁は一度の押し付けを五本の指に分けて残す。取っ手は何度も握られるほど、どの指がどこにあったかを失い、触れられやすい場所だけを滑らかにする。

では、残っているのは手の形なのか、手の多さなのか。壁の跡からは一回の姿勢が読めても、その後の暮らしは分からない。取っ手からは誰の手も読めない代わりに、そこが繰り返し使われたことだけが伝わる。

取っ手へ指をかけると、冷たい丸みが掌へ収まった。扉を少し引き、また閉じた。手を離したあと、金属の上に私の形は残らず、壁の小さな掌だけが開いたままだった。

高さをそろえる

同じ高さへ置くことで、二つの名が横に並ぶ

壁に残った手形は、一つずつ大きさが違っていた。小さな掌には短い指がつき、その上の大きな跡は広く親指を開いている。押した人の名は分からなくても、触れたときの寸法は同じ一枚へそろえられずに残っていた。

アブ・シンベルの小神殿では、王妃ネフェルタリとラムセス二世の巨像が正面に並ぶ。顔や冠は異なるのに、二人の頭頂と足もとはほぼ同じ高さに置かれていた。公式資料によれば、王妃像を夫と同じ大きさにしたのは珍しい表現だという。

手形の寸法は、押した身体から表面へ移った結果である。そこでは差を残すことに、選択はいらない。石像の高さは反対に、岩の上で選ばれた寸法だった。同じ高さへそろえることが、二人を同じ列で読ませる働きを持っている。

大きさは、いつも身体についてくる事実ではないらしい。手形では誰が押しても違いを隠さず、像では異なる二人が同じ高さを与えられる。寸法は身体を写すこともあれば、身体同士の関係を作ることもある。

像の列に沿って歩き、王妃の冠から王の冠へ視線を移す。二つの頂は青空の同じあたりに触れ、入口の暗い長方形を左右から挟んでいる。

内側だけ先に濡れる

汁の丸がほどけ、粒のあいだへ細く入っていく

別皿の淡い汁を匙ですくい、米の輪の中央へ落とした。白い皿の上に小さな丸ができ、内側へ向いた米粒だけが、縁から少しずつ透き通った。

もう一匙を重ねると、汁の丸は大きくならなかった。細い隙間へ吸い込まれ、褐色の短い麺に沿って米の壁を上がっていく。外側の粒は、まだ乾いた白さを保っていた。

内壁へ匙を当てると、汁を含んだところだけが柔らかく崩れた。濡れた米を外側へ返すと、乾いた粒の上へ薄い艶が移り、環の片側に小さな斜面ができた。

中央には、最初の汁の丸がもう見えない。匙の先で底をなぞれば白い皿が現れ、そのすぐ横で、内側から濡れた米が一粒、倒れかけたまま止まっている。

二枚目までの風

同じ風が、結び目ごとに違う順でほどけていく

水面から風が上がり、花柄のスカーフの長い端を持ち上げた。布は隣の肩へ一度触れ、背中へ戻った。橙色の方は首もとへ巻き込まれたまま動かなかった。

次の風では、花柄の端が先に横へ伸びた。少し遅れて橙色の小さな角が肩から外れ、頬の脇で短く震えた。同じ方向から来た風が、二枚を同時には動かさない。

一枚は背中へ長く余り、もう一枚は首の近くで折り重なっている。風の強さが同じでも、つかまる面の広さと結び目までの距離が違えば、持ち上がる時機も戻る場所もずれる。

二人がそれぞれ布へ手を添える。花柄は背中へ、橙色は肩口へ収まる。水面に細かな波が増え、二枚の端が持ち上がる前に、肩は少しだけ近い。

見える方へ注ぐ

注いだぶんだけ、隠れていた量が高さを持つ

金属ポットを持ち上げると、手首へ重さがかかった。中に湯があることは分かる。それでも蓋を閉じたままでは、どこまで入っているのか、外側からは見えなかった。

傾けると、細い流れが空のガラス杯へ落ちた。透明な壁の内側に水位が生まれ、注いだ量だけが高さになった。ポットの重さは減ったはずだが、残りは相変わらず金属の中に隠れている。

同じ湯なのに、容器を移ると分かり方が変わる。ポットでは手に受ける重さとしてしか確かめられず、杯では目で高さを追える。ただし、見えるようになったのは全体ではない。外へ出したぶんだけである。

杯の高さを決めるために、ポットの全量を明かす必要はなかった。見えない側から少し移し、透明な壁に現れたところで止める。必要な一杯を決めても、残りはまだ形を見せず、次に傾けられるまで蓋の下にいる。

杯を持ち上げると、水面も同じ高さのまま上がる。卓上へ戻してポットを軽く揺らすと、金属の内側から短い音が返る。聞こえるのは、形ではなく残りの重さのほうだ。

光の継ぎ目

明るさの縁で、彫られた線がいちばん深くなる

柱に彫られた人物の肩へ、日向と影の境がかかっていた。全面を照らされた顔よりも、その縁にある胸の線の方が、溝の片側へ細い影を抱えて深く見えた。

半歩近づくと、私の頭の影が胸へ重なった。さっきまで黒かった溝は周囲と同じ暗さになり、衣の折り目が石の面へ戻った。身体を横へずらすと、線は同じ場所からまた起きた。

彫りの深さは変わらない。変わったのは、一つの溝へ明るい側と暗い側が同時にあるかどうかだった。影だけでも光だけでも、細い段差は平らになる。

見学者の列が柱の前を通り、肩や帽子の影が人物像を順に覆う。最後の一人が離れる。膝の輪郭から白い縁が戻り、足もとの古い線は一本ずつ石からわずかに浮きあがって見える。

川岸に壁を足す

停泊している間だけ、石の正面に窓が増える

石の柱へ近づくと、光の縁に彫り溝が現れた。けれど、ナイルの反対側からルクソール神殿を見ると、その線はもう読めない。列柱は細部を失い、同じ間隔で立つ縦の影になっていた。

その手前には、大型のクルーズ船が横付けされている。白い船体に客室の窓が何十枚も並び、神殿の柱の下半分を隠していた。石の列の前へ、ガラスの列がもう一つ差し込まれている。

窓の列から上へ目を移すと、そのまま石柱が続いていた。だが白い船体の向こうは透けていない。二つの建物がつながったのではなく、手前の船が神殿から見える高さを奪い、残った上部だけを自分の屋根へ載せていた。

小舟が白い船体の前を横切った。屋根が客室の窓を順に隠し、船尾を越えると青い水面へ出た。古い柱、停泊する窓、進む小舟が、川越しの視線の中で三つの層に分かれた。

大型船が岸を離れれば、白い壁と窓の列は正面から抜ける。神殿に足されたように見えた一階分は水の上を去り、隠れていた石柱の下端が、元の列へつながっている。

肩を過ぎた音

触れた場所を離れても、揺れは列の奥へ渡る

夜の商店街で人を避けたとき、背負った鞄の角が、通路へ向けて吊られた金属の飾りに触れた。細い輪が隣の輪へ当たり、乾いた音が背中から追ってきた。

振り返ると、触れた一列だけでなく、その奥の飾りも遅れて揺れていた。外側の輪が戻るたび内側の輪へ当たり、灯りの点が列の中を行き来した。手を伸ばして止めようとすると、別の一つが指の脇で鳴った。

店の人が外側の数本を掌で包んだ。音はそこで小さくなったが、覆われていない下端はまだ互いに触れ、短く震えている。私は鞄を前へ抱え直し、通路の中央へ戻った。

数歩進むと、最後の一音がする。もう一度振り返れば、飾りは灯りを動かさずに下がり、列の端だけがわずかにこちらを向いている。